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沖縄在住の絵描き、琉備の浪士こと新垣正彦の適当な語り日記ですよ。 メインのサイトはここです→http://ryubi.mu-sashi.com/ っていうか、ブログのテンプレに性別ってのがあるんだけど、非公開から表示を変えられない(汗)別に隠したいわけではなんだけど・・・
            
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むふうううう~んん・・・

超お久し振りの管理人です。
生活が困窮を極めておりましたのでネットに浮上する気力がありませんでしたが、本日より先週見つけたバイトが始まったので、ちょっと勇み足と思いつつも自分で自分を盛り上げる為に恥ずかしながら(ネットに)帰って参りました。
(` ;ω;´)ゞビシッ

八ヶ月振りの仕事はきつい。
が、貯金も4ヶ月も前に底を尽き、身内や知人に迷惑をかけている状況がなりよりきつい・・・

今日からバイト始めたとはいえ、初給料は一ヶ月と半月後の上、遅延の税金の取り立ても厳しさを増している。

生活を立て直せるのはいったいいつになるやら(泣)

しかし不安要素で日々鬱々を過ごすのも寂しいもんだ。
仕事と動く体があるだけありがたいと思わねば。

そういうわけで、無理矢理にでも頑張ります!
誰に畏まってるのか分からないが、とにかく頑張ります。
沖縄方言でいうとチバリンドー!です。

ところで日記の画像の絵はホルトノキ。沖縄方言ではターウルサー。
wikiでは花が咲くのは7~8月頃とあったが、さっき咲いてたぞ?
沖縄だからなのか?
さすが沖縄。わしたウチナー♪
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今年沖縄に帰ってからの初めての首里城に行ったさ。
首里城に行ったのは8年ぶり…?かな。2回目。

450年続いた琉球王国は日本の手によって滅亡し、沖縄県となり、首里城は日本とアメリカの戦争によって全焼した。

現在あるものは1992年に復元(現在も復元中)されたもの。
なので建物自体は真新しい。
そのためだと思うが、2000年に世界登録されているのは建造物そのものではなく、首里城「跡」としての登録となっているようだ。

王国がなくなって150年近くも経っているので、さすがにその時代の生き残りはいないが、血筋の人はたくさんいるとか。
王族や士族の血筋の人達は、この復元された首里城にどういう思いを馳せているのだろう。

首里城はたしかに琉球王国の象徴ではあるが、農民の血筋の人達には必ずしもそうではないかもしれないけど。
今は観光客として城を訪れる事ができるが、百姓のままだったら一生立ち入れる事のできない場所だ。

しかし王族士族、民が平等になった今の時代、沖縄の文化を守り伝えて行きたい気持ちは同じでありたい。
バスに乗って沖縄県南城市玉城字百名にある海岸、新原(みーばる)ビーチへ行って来た。
20年くらい前に行った時よりも、施設が充実しててびっくりしたw
っていうか、沖縄の南部は全体的にかなり発展していた。

大型スーパーとかホテルとか建ちまくってるから、自然とその周りに喫茶店やらなんやらも建ったりしている。
ドライブの途中にお店やトイレがあるのは便利なんだけどね~。

昔のあの、南部の真っ暗な道をドライブして、ポツンとある自販機の明かりだけしかないビーチとか、結構好きだったけどね。

駐車場もお金取るようになったか~。
マリンスポーツにバーベキュー、グラスボート。
貧乏な俺には何も楽しめないビーチにw

でもずっと昔から気になっていたグラスボートには乗ってみる。
¥1.500。ふぐぅ。
ボートは浅いところから、沖のほうまで4段階で移動してくれた。
ジンベイザメとはいかなくても、マンタが見れたりして♪
なんて期待はしていたが、大型のものには出くわさなかったな。

そのかわりという訳ではないが、生きたでかいシャコガイが見れたのは面白かった。
まじまじっと見入って、「お前、そんなんだったのか!?」と驚愕。

不気味なシャコガイの中身の後は、エサに群がる沢山の魚達とイソギンチャク&クマノミで目の保養。
生きてるの~。
 
急に浅いところから底の見えない暗い場所に出た時は、ビルの屋上から下を覗く時のように下半身がゾクッとなったわ~w

しかし暑い!分かってはいても、沖縄は暑いのう!!!!
みーばるビーチの看板娘はなかなか可愛い。
あ、文字通り看板に描かれている人魚なんだけどねw

ビーチ以外の場所も散策して、すっかり夕方に。
カフェに入っている時にスコールが発生。
店を出る頃にはすっかり止んだのは運が良かったw

なかなか癒された一日でした。

そしてバスの中では眠気との壮絶な戦いが待っていたとさ・・・
満月が綺麗ですなー。
 
昨日の話だけど、
ふちゃぎ(吹上餅・ふちゃぎむーちー)を13年以上振りに食べた。
 
これは餅粉をこねて蒸したものに、茹でた小豆をまぶしつけた餅。
 
沖縄では旧暦の8月15日(十五夜)に、豊作を祈願し、ヒヌカン(火の神)と仏壇、神棚にふちゃぎを供えた後に食べる。縁起物。
小豆は魔除けの意味合いがあり、小豆をつぶさずにまぶすことで当年の災難避けを祈願する。

このふちゃぎ、味だけでいうと美味しくない。
そのまんまの餅にそのまんまの小豆をくっつけただけの、お菓子としては工夫も何も無い食べ物である。
正直、子供の頃に食べたふちゃぎの思い出は、「食べるの面倒くさい」というものだった。

そのせいだとは思うんだけど、いつからか、ふちゃぎに砂糖を足した、甘いふちゃぎなるものがお店で売られるようになった。
これで子供も甘いもの好きな人も食べられるようになって、大好評!になったかどうかは分からない。

13年振りのふちゃぎは甘いバージョンだった。
本当は普通のタイプのふちゃぎを食べたかったのだけど、実は沖縄では未だに味のない元祖ふちゃぎが人気なのだ。
大きな店でも普通のふちゃぎは売り切れていて、甘いタイプのふちゃぎしか残っていなかった。

そして俺も甘いふちゃぎを食べて思った。
「これは何か違うな・・・」

甘いふちゃぎは違和感がある。子供の頃、まずいと思っていたはずのふちゃぎだが、原因は餅ではなく、小豆にあるような気がする。
豆を甘い豆にしたほうがいいような・・・

しかしそれはおいといて、歳を重ねた俺は別の事を思った。

子供の頃、ふちゃぎが美味しくないと思ったのは、味ではなく
「親や周りからふちゃぎを食べる事の意味を教えられていなかった」のと
「沖縄の行事に興味が無かった俺の心の無さ」の二つが原因だと。

昔は白い餅は贅沢なお菓子だったに違いない。
小豆も豊作の象徴に見えたのだと思う。

でも今は美味しいお菓子はそこらのお店に売っているし、簡単に買える。
「味が淡白なふちゃぎよりも、あんこの入った甘い餅がいい!」

沖縄の伝統の意味の重要さを伝える人も周りに少なくなっている。
「昔からの決まりだから食べなきゃいけないとか、意味が分からないから嫌だ!」
だから子供の頃に食べたふちゃぎは美味しくなかったのかもしれない。

今なら子供の時よりも、20代の時よりも違う感じ方ができる。

ふちゃぎが食べられる事のありがたさよ。
綺麗な月を見る事ができる日常のありがたさよ。

モグモグ。
友人に連れられて、全国名水百選に指定されている垣花樋川(カキノハナヒージャー)というところに行った。

本島南部、南城市にあり、見晴らしも良い。

沖縄の南部にこんなにすごい勢いで水が湧き出るところがある事を知って非常に驚いた。

水の溜まる場所が三段になっていて、一番上が女川(イナグンカー)、中段が男川(イキガンカー)、下の大きなところが馬浴川(ウマアミシー)という。

水はさらに下の畑へと下る。

夏休みという事もあって、親と一緒に来ている子供達がたくさん遊んでいた。
セミはもちろん魚やサワガニ、イモリにトンボもいる。
浅い川なので海のような危険も無く、自然の中を楽しく過ごせる。

午後になると太陽が山の後ろに隠れるので涼しくなり、さらに過ごしやすい。

昔、この近くに住んでいた人達も非常にありがたがって使っていたに違いない。
村人達も、この日いた親子達と同じように笑って過ごしていただろうか。
プロフィール
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新垣 正彦(琉備の浪士)
性別:
非公開
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